(66) 男四代
このひと月間、ほとんど本業しかしていないさるべーじですこんばんは。
いゃもぅまたしてもあちこちにご迷惑をかけながら、でも本人もなかなか必死で。
とぅとつですが、藤子・F・不二雄先生の作品の中で私が一番好きなのは「パーマン」です。
「パーマン」の最終回は、一号がスーパーマンの星へ留学するといぅ結末でした。
一~五号の中から一号が選ばれた理由は、
みんなの中でいちばん頭が悪くて、
弱虫でなまけ者
だったからです。
にもかかわらずこれだけ頑張っているからだ、だそぅです。
私の父方のじーさんは、和菓子職人でした。
でも、私が物心ついた頃には、洋菓子屋でケーキを作っていました。
小さい頃、「どうしておじいちゃんは和菓子屋さんなのにケーキを作っているの?」と聞いたことがあります。
「和菓子では食えなかったのだ」と答えてくれたのがじーさんだったかばーさんだったかはもぅ忘れてしまいました。
なんせ私の親が昭和一桁ですから。
戦中戦後をにょーぼ+11人の子供+預かった親戚の子供を背負って生き抜いてきた人でした。
じーさんが亡くなり、数年後にばーさんも亡くなり。
家財を整理していて出てきた羽子板のようならくがんの型と食紅は、お袋が形見分けでもらっていきました。
私の親父は、電電公社の職員でした。
街中に張り巡らされた回線のメンテナンスをしていたと聞いています。
小さい頃のおもちゃは、親父が持って帰ってきた壊れた電話機や回線の部品でした。
この間実家に帰ったら、新しいビデオの配線をお袋に頼まれました。
聞けば、親父は機械関係が嫌いで、絶対にやろうとしないとか。
そう言われれば、確かに親父は山男で、森の中にいる時が一番嬉しそうでした。
末の妹が就職してまもなく、定年を待たずに親父はNTTをやめました。
今日、長男が11歳になりました。
奴もいつかは、誰かを抱えるのかもしれません。
何十年か後に、親父の小さな背中を思い出すのかもしれません。
私は、せいいっぱい親父でいてやろぅと思います。
パーマン一号のよぅに。