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(5) 改めて、文章によるコミュニケーション

とりあえず雑文と言えど焦点をあちこちに飛ばしながらてきとーに書くのでは、ただでさえわかりにくい文体に輪をかけて何を言わんとしているのかわからなくなっているのではないかとふと思いつく。
ので、今回より日毎にタイトルを付けてみることとする。ついでに、文調も少し自分の内部思考に近い形に変えてみたい。

さて一般多数派としてのインターネットの利用形態は、やはりメールであり掲示板であり、チャット・ICQ・なんとかメッセンジャー・ネットゲームあたりではないかと思う。
これらメジャーなコミュニケーション機能は、やはり未だ文字/文章に依るところが大きい。ので、これから今まで以上に文章力(自己表現/他者理解)の有無がその人間の活動範囲に大きく影響してくるのは必然だろう。

しかし、手紙→電話へと通信手段の主流を置き換え、書籍→テレビ/ビデオと娯楽の主流を置き換えてきた我々が今一度文字文化に戻るのは、正直容易ではない。

「聞き話し」は基本的にその瞬間瞬間の表情や身振り等のボディランゲージ、言葉をやりとりする際の間やテンポまでを含めた情報伝達であるから、文章そのものの推敲まではとてもおぼつかず、またさして重要視されてもこなかった。
だが、そのノリで文字による会話を行おうとすると、圧倒的な語彙不足や用法の不的確さ、さらには読解能力の訓練不足などが無様に露呈していく。

これに対して、最近どうも別の潮流が感じられるようになってきた。
たとえばフォントいじり系テキストサイトなどは、世代ローカルなボキャブラリと会話の間・テンポを文章に持ち込み成功している例だろう。下衆な本音を書き込むことを是とした2chが、自然発生的に、また猛烈な勢いで独自の表現ルールを確立したプロセスも刮目に値する。
これらと同様の新しい文字文化は、たとえば会話のテンポを文章によるコミュニケーションの中に織り込んだ、携帯やPHSなどで掛け合い漫才のようにショートメールをお互いに打ち合いまくるという所為の中にも感じられる。

これらは従来「世代と無関係な共通言語」として存在していた旧来の表現手法(しかしその実体はその言語を習得することを新世代に強制していく)に対して、若い世代が自らの呼吸に合わせた言語を編み出していったようにも読みとれる。もちろん意識的・組織的に行われたものではないのだろうが、長い歴史の中で幾度も行われてきた言語の解体と再構築(古語と現代語の違いを思えば得心いただけるだろうか)がここでもまた行われつつあるところだ、と私は理解する。

ならば。
これらの新しい言葉を旧来の言語の物差しで測り否定することに意味はないのではないか。曰く見苦しい、下品だ、暴力的だという意見に対しては同意しかねる。これら二者は、すでに違う文化なのだ。異文化を自分の文化で推し量るのはいかにも狭量ではないか。
自分の培ってきた美意識にそぐわないのであれば、単純に無視すればいい。理解できなくとも尊重はできるだろうし、できるものなら理解してしてしまってもいっこうにかまわない。

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